4/47☆GOROのラン生活☆

オジサンがフルマラソン全国制覇を目指してみます

湘南国際の不人気に思う②

湘南国際マラソン、記者発表によると、今日の10時段階で12,547名のエントリー。残り7,453名。スカスカじゃないですか。そして相変わらず「全国の市民マラソン大会の復活を背負って取り組んでいます!」と偉そうに...。だから、来年同時期の他の大会、全滅じゃないですよ。なんでこんな表現になるんでしょうか?さらには「すぐに定員に達する、何倍もの競争率で抽選になるという大規模市民マラソンの流れは、過去のものです!」って、エントリー者が集まらない理由は、あくまでもコロナ等の社会的事情であると決めつけている様子。大上段に構えて掲げた基本コンセプトが、受け入れられていない側面があるかもなんて考えもしないんですね。最終的には「エントリーのお誘いを拡散してください」って泣き落とししていますが、コンセプトが共感され、魅力的な大会だと判断されれば、参加者は黙っていても集まるはずです。

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それでは、自分が抱いている不満点の第2弾です。

③マイボトルマラソン・・・給水後の紙コップ等を道端にポイポイ捨てる市民ランナーについては私も辟易しています。素人たちがプロランナーのような振る舞いで、非常識かつ格好悪さも甚だしい。どうして、ごみ箱(あるいはごみ箱付近)に処理することをしないのでしょうか。しかし、湘南国際が問題視しているのはそこではないようです。

マイボトルで走りましょう 第16回湘南国際マラソン

そもそも、スポーツ活動である程度のゴミが生まれるということは、やむを得ないことです。人間が数時間にわたって運動をやり続けるためには、当然給水も給食も必要です。各人が自宅近くの公園で40キロ走ったとしても、それなりのゴミがでます。狭い範囲に人が集まれば、その各人のゴミも狭い範囲に集中します。当然ゴミは大量に見えますが、マラソンという行為でひとりひとりが出すゴミの量が増えるわけではありません。なのに「マラソン大会は大量にゴミが出る。だから、この大会ではそのゴミをゼロにする。そのために給水用のマイカップを抱えて走り続けろ。スタート時には400ml以上を水で満たしたマイボトルを携えろ、それが絶対のルールだからな!」って、あまりにトンチンカンじゃないでしょうか。例えば、毎晩のように開催されるプロ野球(コロナ前の想定)。何万人もの感染、いや観戦者が弁当を食べ、何杯もビールやジュースを飲み、ジェット風船を飛ばし、負ければ縁起の悪いメガホンは投げ捨てる。試合終了時のスタジアムには大量のゴミが残されます。もちろん、決してそれが「いい」とは言いませんが、経済活動ってそういうことじゃないのでしょうか。湘南国際の理屈でいえば、スポーツ観戦も野外フェスも映画鑑賞も、皆がマイボトルを持参すべきだってことになるし、そもそもスーパーにもコンビニにもファストフード店にもマイ食器を持参しなければなりません。我々はどれだけ、それらから包装容器を持ち帰り、そしてそれをゴミとして処理しているでしょうか。そこを考慮も言及もしないで、このマラソン大会だけゴミゼロを目指すって胸を張られても、ただただ困惑するしかありません。

たしかに、この間の榛名湖マラソンのように、感染症を気にするあまり満タンの500mlのペットボトルしか給水所に置かれていないのは、いろいろとロスだと思います。これまで通り、適当な距離ごと、適当な量の給水が紙コップで行われれば、それでよいのです。そもそも給水行為でコロナが感染するのなら、それこそ全飲食店は営業停止にしなくてはいけません。紙コップが問題なら、プラスチックのコップを給水所ごとに回収洗浄消毒して毎年使いまわせばいいだけです。

私はへっぽこ市民ランナーです。タイムへのこだわりもありません。しかし、トレランでもないのに400ml以上の満水マイボトルを持ってスタートするのは嫌です。その後、給水ごとに完全に足を止めるのも嫌です。タイムロスは別に気になりませんが、「完全停止」→「走り出す」の繰り返しは、心身に堪えそうです。惰性で走り続けたいです。

こういった理由から、私はマイボトルマラソンという考え方には違和感と拒否感しかありません。主催者は「われわれの将来を考えたこの新しい試み〈テイクアクション〉による「マイボトルで走りましょう」が、日本中のマラソン大会に広がり、そして世界中のランナーがマイボトルで走る日はそう遠くないはずです。」などと謳っていますが、こんな事態にならないことを願うしかありません。